メタラーの逆襲

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エモい世界史 オリエント編 Part7

ヘブライ人の歴史についてみていきます。

 

紀元前1500年ころ、ヘブライ人がセム語系の先住民であるカナーンを服属させパレスチナに住むようになりました。このパレスチナというところはユーラシアとアフリカを結ぶ海陸交通の要地です。

かつてカナーンとよばれていたこの地は、海の民の一派であるペリシテ人(鉄に関する高度な技術を持っていました)が定住したことでパレスチナとよばれるようになります。

また、ヘブライ人の一部はエジプト新王国に移住します。しかし前13世紀、ヘブライ人がファラオ(ラメス2世か)の圧迫に耐えられず、エジプトを脱出することにします。

これを出エジプト(しゅつエジプト、と読む)といいます。

この際にヘブライ人を率いたのが預言者モーセです。出エジプトの途上、シナイ山というところでヤハウェから十戒(じっかい)を授けられました(十戒とは、ユダヤ人が守るべき10個のおきてのことです)。あとは、エジプト軍の追撃を逃れるヘブライ人の前で紅海が割れて道が開ける奇跡がおこった、という話があります。

ちなみになんですが、預言者と予言者は意味が違いますから漢字を間違えないようにしてください。預言者っていうのは神の言葉を預かった人、と思ってもらえれば分かりやすいと思います。

前12世紀のはじめころ、ヘブライ人はペリシテ人パレスチナに来たため、戦いで苦戦をしました。

つぎはヘブライ人の国、イスラエル王国についてみていきます。

イスラエル王国(前1012ころ~前722)は第2代のダヴィデ王(在位前1000頃~前960頃)と第3代のソロモン王(在位前960頃~前922頃)の治世に繁栄を見せます。

ダヴィデ王のやったこととしてはイェルサレムを首都にしてペリシテ人を排除し、国力を強固にしたことがあげられます。

また、ソロモン王のしたこととしては、ヤハウェの神殿を建設したことなどがあげられます。最高の智者とたたえられましたが、彼の死後には王国は北のイスラエル王国南のユダ王国に分裂してしまいます。

イスラエル王国は10部族によって建てられてるんですけど、こんだけたくさんの民族がいたら国の政治は安定しないんですね。(もしかしたら平気なところもあるのかもしれないけど。)首都もサマリアになるまで何回もかわってるんですね。

一方のユダ王国(前922頃~前587)はどうだったかというと、イスラエル王国が分裂した後イェルサレムを首都としてダヴィデ王朝が支配しました。しかしこっちも分裂してできた国なのでそんなに強い国というわけじゃないんですね。

だからこの二つの国はアッシリアとかエジプトとかに苦しめられることになります。

先に滅亡したのは北のイスラエル王国でした。アッシリアに征服されてしまった(前722年)んですね。その後、前586年には残っていたユダ王国新バビロニアに滅ぼされました。そしてこのユダ王国滅亡の際にヘブライ人は捕虜とされてしまいます。捕虜にされた彼らは新バビロニアの首都バビロンに連行されました。このことをバビロン捕囚といいます。

バビロン捕囚の件は意外と試験などで問われるので、一応もう少し細かく書いておきます。

まずバビロン捕囚が行われたのは前586~前538年の間です。この時の新バビロニアの王はネブカドネザル2世といいます。まあさすがにいっぺんに大量の住民を連行することは難しいので、3回に分けて行われました。そもそもなんでこんな面倒な事件を起こしたかというと、ユダ王国とエジプトが連合を組み新バビロニアに対抗しようとしたかららしいです。ちなみに新バビロニアアケメネス朝のキュロス2世に滅ぼされるんですけど、その時にユダヤ人は解放されました。(このころからヘブライ人という呼び方よりもユダヤ人というほうが多くなります。)つかまってる間のユダヤ人は苦しい思いをしているので、ヤハウェへの信仰を強めていくことで心のよりどころを確保するようになっていました。彼らは帰国したときにイェルサレムヤハウェの神殿を再建し、ユダヤ教を確立していきました。

ここでユダヤ教の特徴を見ていきましょう

神は全知全能の神ヤハウェのみであるとされた一神教で、ユダヤ人のみが神に救われる選ばれし民族だという選民思想を持ち、救世主(メシア)があらわれユダヤ人を救ってくれる時が来るという考えをもつ宗教です。

今回は結構重要な部分なので長くなりましたがしっかりと復習してね。

書ききれなかった部分は別の記事か何かで書いていきたいと思います。