メタラーの逆襲

雑記系メタラーがエモいことを発信するブログ

ウェブならではの書き方

突然だけど、私は文を書くときに結構変な書き方をしている。

です・ます調とだ・である調を一つの記事の中で共存させている。

こういうのって普通に本を読んでいるとなかなか見ることができない。

たぶんみんなも学校とかで「どちらかに統一しなさい」みたいに言われたことがあると思う。確かにそれはそれで一理ある。あんまり口調が変わったら統一感はないし読書するうえで読みづらさを感じる人もいるだろう。

だから書籍などではそれでいいと思っている。では、ウェブの場合はどうだろうか。

もちろん、公的機関や権威ある人がこういう話し方をすることはまずない。

やはりいろいろといわれてしまうからだろう。だけど個人の運営しているサイトなんかを見ていると必ずしもこのルールにのっとる必要もないような気がしてくる。

特にブログなんかはそう。これはスピーチを文字に起こしたものを見ているときも近い感情を覚えることがあると思う。

私は以前外国人の教授が行う最終講義の様子をみたことがある。その教授は病に侵されており余命いくばくもないという状態だったのだ。その教授はもちろん天才的な人で、教えるのもうまい人だった。自分の研究分野をとても感情豊かに面白く伝えられる人だった。そのひとの講義動画と文字に起こしたものを見ながら進めていくと、ある事に気が付いた。なかなか普通の書き言葉では使われない表現が多いなと。もちろん文字に起こされているから文章として見ているんだけど、すごく語りかけてくる感じがあったのだ。これはきっと権威があるからと言って「だ・である」でやってても面白くはならなかったし研究者の見ている景色を豊かに表現することもなかっただろう。堅苦しさがしてしまうからだ。逆に丁寧に話過ぎても同様だろう。

こう考えると、書き言葉と話し言葉を織り交ぜてしゃべる時はあまり自分の頭の中で話す内容を固めすぎてないんだと思う。柔軟なのだ。

私もブログを書くときは基本的に思ったことをその勢いのままに書ききるようにしている。感情に任せて書いている。

このブログでもそうだし私がよく見るサイトでもそうだけど、感情のままに書いた文章ってやっぱりどこか言い切る部分があったり、逆にどこか見ている人の気持ちに寄り添ったりすることがある。

こういう読者との距離感が固定されていない感じとか、思ったことをそのまま深く考えたり言い換えたりしない姿勢がブログ独特の魅力なのではないか。

もしブログを読むときに書籍と内容も口調が変わらなかったりしたら多分ブログを読んでても面白くないだろう。

そういう意味では、この書き方は感情的な部分を表現するのに、あるいは自分の景色を再現するのにとても有効なのではないかな。

それにちょっとギャップがあったほうがいいっていうからね。

今日はこんな感じで変な書き方をしているのはなんでか見ていきました。

それでは。