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書評や音楽レビューの重要性

私はよく本を購入するのだが、どうしても似たような本を避けることは難しい。書店に置かれている本は返本のサイクルの中にあるし、これといった本を探し出すには時間との戦いがある。

 

書評を利用すればいいのではないかという意見もあるだろうが、そもそも書評が掲載されているメディアというのは雑多で、せいぜい新聞の書評欄くらいしか入手しやすいものがない。ウェブメディアにしても小説のレビューは多いが、もっと知的好奇心をそそられるような本(雑に「ノンフィクション」とくくられることが多い)に関するレビューが非常に少ないのである。

 

ただでさえ書店でも奥まったところに置かれがちな(場合によってはコーナーごと撤去されてしまうような)本と出合うには、それでもごくわずかな書評を頼るほかはない。(書籍の後ろのほうにある参考文献や出版社の広告欄にある関連書籍のリストは非常に助かっている)

 

こうしてみるとたとえ読まれることがなかったとしても書評がないと本と巡り合えない現状において、レビューがあるというのはありがたいのである。ブックガイドのような役割を果たしてくれるからである。

 

音楽についてもなかなか難しいところがあり、多くの人間はユーチューブのおすすめに出てくるくらいの音楽としか一生のうちに触れあわない。

 

消費材としての音楽はそうやってどんどん押し寄せてくるが、人生を豊かにしてくれる音楽というのはそういったアルゴリズムの外にある可能性が高いのだ。

 

だからこれまたレビューがないといけない。

特に海外の音楽に関しては本当にレビューが不足している。

今では音楽雑誌が衰退し、個人のブログももはやレビューの場としては機能していない状況。

 

こうした状況に輪をかけるように、「誹謗中傷」問題が出てきている。

誹謗中傷も度が過ぎたものはいけないが、実際のところ騒いでいるのは過度にナイーブな人たちであって、批判を中傷と曲解してごちゃごちゃ言ってるのが多い。

(本当に苦しんでいる人はいまだに泣き寝入りだろう。)

いわれもないような誹謗中傷と批判は明確に異なるし、ましてや自身のナイーブさを理由に他者の意見・感想を封殺するようなことがあってはならない。

それこそ悪である。

 

日本においては特に議論が欠けている、もっというと意見のバトルが欠けている印象だ。

 

意見を闘わせず「お気持ち表明」をしているだけでは日本は成熟していかないだろう。言論空間に自由の風が吹いていないのは致命的だ。

 

物書きたる現代のわれわれは卑怯な「誹謗中傷だ!」の脅しに屈することなく、自身の意見や感情を表明していかなければならない。相手が何か言ってきたら言論で反撃しよう。

 

肯定的であれ否定的であれ、レビューというものを尊重する文化・そしてそれを継続していくメディアは大切なものだろう。